SAMURAI7 第十二話「わめく!!」

 遅くなった。でもやあああっとまとめることができた。とはいえ夏の放送予定は不定期(実質月イチ放映?)なので、まあこんなんでもええかなと(いいわけあるまいよ)。

  • マンゾウを斬ろうとするヘイハチ殿がすげえ怖い。ありゃ本気の目だ。ホノカのときもそうだったけど、裏切りには厳罰をもってあたる主義なんですかね。憲兵(ていうものがあの世界の軍制にあるのかどうか)出身というわけでもないのに。でも工兵って裏切りが出たら、場合によっては全体へのダメージが巨大だから、そもそもああいうことには過敏になる職柄なのか。
  • それとも今回ものすごく凄味があったのは、村民に対する見せしめのジェスチュアも入っているのだろうか。だとしたら、通常の温厚そう/力がなさそうな外観(体格が小さい・童顔・表情が笑い顔固定というのも「力がなさそう」だという表象につながっているよな)との落差を計算に入れた大策士といえましょう。彼でさえあんなに恐ろしいのだから、他の侍たちを怒らせたらどんなに恐ろしいことか!
  • しかしヘイハチ殿は目を見開くと意外と冷徹そうな顔になるな。それとも怒ったときしか目を開かないからそう思えるだけか? 
  • さて、裏切りといえばお侍一行の中にも裏切り大王がいるわけですが、そのキュウゾウ殿に対するヘイハチ殿の評価はどんなもんなんでしょう。
  • とりあえず今回の話をみていくと、裏切り者に対する制裁措置に関して、キュウゾウ殿はは「確かに道理」と肯定しているのですね。だからキュウゾウ殿の中では、たまたま今回裏切ったのが歓迎されて、うやむやになったけれど、一行の中における自分は、本来ならばよく斬れる刃として有用な存在とみなされているだけで、制裁されるべき存在であるということが判っているのだと読める。
  • しかしてそういうけじめが周りに伝わっているのかちうと、それははっきりとは判らないわけですが。ていうかキュウゾウ殿は立ち居振る舞いが前と変わらない程度には胡乱だからなー。水分り様が9話で「この人は敵です!」と云ったけれど結局一行に加わってるところをみると、おそらくお侍の人たちはそこらへんのけじめについてちゃんと判ってそうですが。でもやっぱり色々と判りにくいよあのお人は!
  • カツシロウの刀は鍔パーツが柄部分にまで少し延長されていて、その部分を柄に固定しているみたい。で、刃の固定については柄に中子を入れて目釘で固定する式。しかしカンベエ殿の差料なんかは柄と鍔の一体成型みたいな感じではあるな。こしらえを作る職人の人は大変そうだ。
  • 「人をあやめてこその侍だ」……戦さがあったときは、それと引き換えに扶持や恩賞や知行安堵があったんだけど、泰平の世では戦さがないから報酬もない。パイ自体が縮小したからヒョーゴ殿やテッサイ殿みたいに再就職してサラリーマン侍にもなかなかなれない。でも侍である以上は、「殺人術の体得」こそが存在理由。しかしその行使は禁じられる。いや本当にこの世界のお侍さまは、われわれの世界の比じゃなく大変だ。下手したらあと50年もすれば、「斜陽」みたいに妙なぐあいに劣等感とプライドの肥大化した一階級を形成しそうな気もする。
  • そういやカンベエ殿は大将の器だけど教官の器じゃない……てのをどっかで読んだのですが(たぶん2ちゃん)、今回の対応を見ているとたしかにそうだ。人を斬ったカツシロウに対して、導くというより方針だけを与えて放任しておいでだものな。なんていうか、遠くの一里塚を見せるけど、そこまでの道については自分で発見させるかんじ。目標までの過程を全部自分で考えさせる、というのは自分の中を深く耕すことになるが、下手するとまったく間違った方向に行ったりするから、私は教育にガイドラインはある程度必要だ派なんですが、どうもカンベエ殿、そういう方向にはなさらないごようすだ。
  • ああでも、もう時代は変わってしまったのだよな。カンベエ殿が体現しているサムライ道は、それ自体間違ったものではないけれど、やっぱり戦場往来の血なまぐさい暮らしによって確立されたもので、そうである以上現在には通用しない部分てのを含まざるをえない。五年前までは天下に大手を振って通用したのにな。だからある意味「これまでの人」であるカンベエ殿のサムライ道を、「これからの人」であるカツシロウがそのまま見取り稽古してもいかんのよな。カツシロウは新しい時代の新しいサムライ道を自力で開拓しなければならない。だからカンベエ殿はあえて方針だけを与えて、あとはたぶんこの戦さ場に立つおのれの背中から読み取らせようとしていると見た。
  • まあ師弟ともにしんどい道ですが。おのれで選んだ道だ、励めよ少年。
  • キクチヨ殿侍認定おめでとう! やっと七人そろったですよ!! 
  • なんだか彼の長科白は、云ってることが途中からカンナ村の現状とは関係ない内容で、支離滅裂ぽくなってたけど(原作からの引用なの?)、だが心にしみた。たぶんあれは途中でテンパって、自分の農民時代の記憶とごっちゃになっちまったんですよ。キクチヨの村はアクティブにたくわえを隠し通したり(そして時にはしくじったのかもしれぬ)、街道にパンジステーク掘って落ち武者狩りとかやってたんでしょうな。
  • 結局今回、カツシロウはキララ殿とラヴ展開にならなかったなー。でもキララ殿がが野伏せり退治をわがこととして引き受け、野伏せりを退治するということはとりもなおさず殺すことだということをも引き受けた、という描写はよかった(絵もクオリティ高かった)。ていうか、ずっと思ってたんだが日本の時代劇は人を殺すだけ殺しておいて、そこらへんから目をそむけすぎです。悪人は斬られれば血も吹き出さずにいつの間にかあぶくのごとく消滅する、あれはわざとなのかなあ。いつごろからあんなふうになってしまったんだろう*1
  • あ、シチロージ殿の左手が生身だ。
  • 「お嬢ちゃんたちもお食べ」……順調にオカラちゃん攻略ルートが進行しております*2。それはともかく、ヘイハチ殿へのフォローもそうだが、シチさんのああいう目配りのしかたは好きだ。カンベエ殿はそういうところは意外と気がきかなそう(立場的に、別に特にきかす必要もないがな)なので、大戦時代はいい主従だったのでしょうな。あとゴロベエ殿も目配りとかフォローうまいね。参謀役に重要なのは気配りの巧みさ、人間関係のあしらいのうまさか。ああいう人間になりたいもんだ。
  • 「戦さなら軍旗が必要でしょう」……水分り様は戦さに関して余計な知識はあるのな。あ、でも侍探しのときにも「戦さ場のにおい」って云ってたなあ。なんかかたよってるのは水脈経由の間接的な知識だからだろうか。

*1:今思いついたが、歌舞伎の荒事の文法がTVドラマの殺陣の文法まで持ち越されているのだろうか。

*2:ギャルゲーとか乙女ゲーしたことないので、「ルート」の用法間違って書いてる危険性大いにあり。