種子島を触ってきたよ。

 今日は国立歴史民俗博物館「歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-」展を見に行ってきました。二度目です。今日は国友鉄砲研究会(戦国〜江戸時代の一大鉄炮ファクトリーだった近江国友村の子孫の方による愛好会)による鉄炮の演武があるということで、行って来ました。
 歴博さんは、鉄炮の大きなコレクションを持っているということで(どうも専門の研究者がおいでのようです)、そこらへんを一挙公開みたいなかんじ。
 意外なのは、日本に鉄炮が伝わってから、わりとすぐに炮術師(クラス的には武芸者)という職業があらわれて、たちまち流派がいくつもできて、流派ごとに銃の仕様が異なったりときっちり差別化が確立していること。新兵器の情報伝達の速さが思った以上にすごいし、武芸の流派を確立するノウハウみたいなものは、たぶん剣術や槍術とかの既存の武芸のものを応用したんだろうけど、この日本の風土への迅速な適応っぷりが凄いと思いました。ていうか皆鉄炮が大好きだったんだなあ。設計によっては数千メートル射程のものがあったそうな。
 面白かったのは、時代の風みたいなもの。稲富流の秘伝書が展示されていたんだけど(画像はこのページの中ほど)、モデルが下帯一丁なのは、身体のポジションを明らかにするためなんだけど(構えをちゃんとして、反動とかちゃんと逃がさないといけないしな)、下帯やたら派手だなーと思っていたら、制作年代1610年。慶長十五年です。元和偃武まであと五年。まだ戦さのにおいが天下に満ち満ちていた時代、傾奇者が大勢いた時代ですよ(『花の慶次』脳)。そりゃ下着から伊達張りたくもなりますよ。
 あと国友村のファクトリーのようすなんかの再現。鉄炮というのは完全注文生産だったそうで(上記のように、流派によって仕様が細かく違うから)、注文主からの細かい仕様書をもとにしていたそうです。おしむらくは、ねじタップとかバイスとか、そういう工具を当時の呼び名のままで展示しておいてほしかったなあ。あと、カラクリ(火縄はさみから引き金にかけての可動部分)のしくみについてもう少し詳しくしてほしかった。分解パーツ展示は親切でした。
 あ、でも前回は開始まもないときに行ったんですけど、展示キャプションに追加があった(牡丹色の説明書き)。詳しくなってた。
 それから演武。

以下メモ。

  • 今回のは、鉄炮のファクトリーが検品のために試射していたやりかたを洗練させたもの。
  • 館の横の広場で演じたので、空砲ですよ。ていうか実射では警察の許可が下りまいよ。
  • 使用する銃は、すべて江戸時代のもの。ていうか、聞いたら火縄銃は法律の関係で新造できないんだそうです。何故だ。刀はいいのになあ。
  • 鉄炮の音って大きいな。文字にひらくと「バン!」だけど、「耳を聾する」て感じ。でもあとで聞いたら、射手のほうではそれほどやかましくはないそうです。筒先で炸裂してるから。
  • 早撃ちは一分間に六発くらいはいけるらしいが、今回実演を数えていたら、一発につき十五秒ほどだった。それでも充分早いですが。
  • 黒色火薬なので煙が凄い。装填用の火薬はあらかじめ量っておいて、小さな茶筒様の容器に入れておく。火皿に入れる火薬は細かくすりつぶしてパウダー状にし、注ぎ口のついた袋から適宜火皿に注ぐ。
  • 銃身(鉄部分)と台(木部分)は目釘三本で固定。一本で充分固定はできるそう。しまったその一本がどこなのか聞くの忘れた!
  • 銃の重量は6〜7キロ前後(個体差あり)。演武後に構えさせてもらったが、結構ずっしりしていて心強い。安心感があるというか。肩に当てる構造にはなっていないので、頬当てで構える。腕がきつい……。

 演者の方、素人の質問に親切に答えていただいて、ありがとうございました。正直鉄炮はよく判らない武器だったんですが、これはいいものだ。刀や弓箭とはまた違った魅力がある。

 種子島だけでなく、国友にも鉄炮の資料館があるそうなので、行ってみようと思う。1day近江の券使えるかな。