SAMURAI7 第十六話「死す!」
雨の中、神無村をめぐるお侍と野伏せりとの死闘についに決着がつく回。……ああー・゚・(ノД`;)・゚・
あ、でも今回ちょっといろいろアカン所があったというか、もちょっとつめてほしかった感があった。というか神無村攻防戦にはあと一話くらいかけてほしかった気がする。でも二クール=全二十六話でまとめなきゃあならんしばりがあるしな。*1
- 早亀というのは、この世界における馬みたいな存在なのだな。しかし機械化されてる木菟侍がわざわざ早亀に乗るメリットがちょっと判らん。徒歩の人間への威圧か?
- 農民を指揮するヘイハチ殿がクールでかっこよい。
- しかし矢榴弾の爆発で、至近にいた何人かは死んでるよなあれ……。
- キュウゾウ殿は遊撃手として田んぼで野伏せりをズバズバ斬っていましたが、あれお米が機械油まみれになってしまうんじゃなかろうか。まあ基本的にそういうことは気にしないのがキュウゾウクオリティといえばいえる。色合いの美しい、ちょいと幻想的な絵面でありました。*2
- 雨降る中、息遣いのみが響きわたり、いつ終わるとも知れぬ死闘が続く。斬って斬って斬りまくって、緊迫感というか、リアルな淡々さというか、戦いの気配がひしひしと身に迫る場面だったと思います。いつ誰の気息が乱れとぎれるかとハラハラしたよ(サブタイトルがサブタイトルだけに)。戦闘てのは最終的には体力勝負なんだな……。
- 絵は使い回しが多いけど、まあそこは気にしない方針で。
- あと、せっかくの予備の刀はあまり目立たなかったなあ。足利義輝みたいに刀を替えては斬り替えては斬りみたいなアクションを期待していたのですが。
- あ、雨天だから水分り様は雨粒を通して外のようすがわかるんだな。今気づいた。
- カンベエ殿対シュウサイ殿。んんー、今回もだがおっさまはいろんな人にやたらと助けられる人だなあ。これが人望って奴か。でもシュウサイ殿の「侍など、とうの昔に忘れたわ!」は泣いた。たぶんこの世界のあちらこちらにそんな人生をすごさざるを得ない人々がいるのだ。
- なんか、今回のテーマとして、「力が弱いとみなされている人物が重要な役目を果たす」というのがあるのかもしれない。キュウゾウ殿を狙った雷電型の胴を薙いで倒したのはカツシロウだし、シュウサイ殿に追い詰められたカンベエ殿の窮地を救ったのは、野伏せりの銃を動かすことに成功したリキチたちだった。
- ところで、最後のひとつ前のシーン(そう、あのシーン)、お侍の中でキュウゾウ殿だけみごとにフレームアウトしてるのはなぜだ。とりあえず彼も画面外で悼む表情をしていたと脳内補完しておきましたが<キモいな。
以下ネタバレにつき隠し。
- 片山ゴロベエ殿御討ち死にいたし申し候。お侍の中で一番贔屓の人だったんですが……。いろいろと細かいところで気を配ることができ、一行の士気を影で保つ重要な役割を担っていた人だと思います。惜しい人を亡くしてしまった。虹雅渓に置いてきた屋台は朽ち果てるにまかされてしまうのかなあ。
- ていうかエンディングのあの昼下がりの景色は決して実現しない世界であったということが明らかになったわけで。切ない。
- さて、ちょっとリキチとゴロベエ殿のかかわりについて考えてみた。このふたりは五話以来の迷コンビだったなァと思ったので。
- なんでゴロベエ殿がリキチをかまっていたかというと、そりゃまずは朴訥でいじり易かったからというのがありますな。ツカミにうまく乗ってくれるんだもの、そりゃおもしろかろう。でももうひとつ考えてみた。
- そもそもゴロベエ殿は都市の住人だった。都市というのはものを消費する場です。周りの農村から食料を供給されたり、貿易で手に入れたりしないといけない。なので、基本的には不毛の地であります。そして、ピンでの大道芸はそもそも娯楽のヴァラエティが豊かな都市ならばこその芸能です。人間が常に動き回っており、たやすく皆がハレの状態に入り込んでくれる都市では、人ひとりのわざをもって、芸能の空間を作り出すことができ、ピン芸を売って生活を成り立たせることができる。しかし都市ではない場所、農村とか住宅地とかでは芸を成り立たせることがむつかしいのです。*3そんなわけで、戦後のゴロベエ殿は都市でしか生きられないタイプの人間として生きていた。くわえて、芸人というのは、生活に必須の職業ではない。もしも生存が人間の第一義になったらば、まっさきに切り捨てられるようなもの。
- 大戦が終わって必要なくなった侍=「無用の者」であったゴロベエ殿が、同じく「不毛の地の無用の者」である都市の大道芸人を生活の道として選び取ったのは、戦さ場というやはりモノを吸い上げるいっぽうの不毛の地で、命を奪い、破壊することを旨とした侍として暮らしてきた経歴を持つ、彼一流の諧謔というかなんというか、そんなものだったのじゃないかと思います。「不毛の地の無用の者」が「無用の者」になり、ついには再び「不毛の地の無用の者」になり果てて生きてゆく、人生においてこれ以上のオチがありましょうか。
- いっぽう、リキチたち農民はといえば、こちらは土を耕して食物を作るという、完全に生きてゆくことと不可分な仕事をしている。「有用」です。ものすごく「有用な者」です。まあどんな職業にだってダークサイドはあるのですが*4、でも「無用の者」からみればかれら「有用の者」たちは人間のあるべき理想形として映ったのではないか。
- これはたぶん、カンベエ殿がホタル飯を水杯にしたのと同じ心性から出ているものと思う。で、リキチの面倒を見たり、手助けをしてやったりというのが、ゴロベエ殿的に農民というか「有用の者」たちに対する罪滅ぼしみたいなものだったのじゃあないかしらん。
- で、ですね。今回のように、農民たちが野伏せりへの一撃をくわえる展開になったのを見てると、ゴロベエ殿が生き延びておれば、そのうちリキチとよい友人になっていたかもしれないと、そう思ったのです。……いや、もうとうになってたのかな。
- だからリキチがんがれ、超がんがれ。見事女房殿を取り返さねば、ゴロベエ殿もあの世で安心できまいよ。
さて、花に嵐の喩えもあるさ、また会う日々を楽しみに、気をふるい起こしてさあ次回へ!